2016年08月15日

唐原の平家落人伝説 <一貴山校区・二丈満吉> 唐原の平家落人の遺跡/2014年12月-2015年1月

heikeochiudo_00.JPG






    塔原寺址


  唐原に在り、C賀の開基といふ。

         ー『糸島郡誌』後編 一貴山村 第十章 史蹟名勝







heikeochiudo_01.JPG






    千福寺址
  
  滿吉に在り、重盛の息女二人追福のため其母建立すといふ。

  今宅地となれり。

         ー『糸島郡誌』後編 一貴山村 第十章 史蹟名勝







    東光寺址

  滿吉に在り。平重盛内室の建立に係るといふ。

         ー『糸島郡誌』後編 一貴山村 第十章 史蹟名勝







    重盛内室墓

  唐原の南三町林叢中にあり。高三尺五輪塔なり。

  此五輪塔は後世の作なり。唐原の農民等祖先の由緒とて草堂を建て、

  古來崇敬して香華を供へ來れり。外に野石二個あり。

  共に高さ二尺息女の墓なるべし。其外乳母家臣等の墓とてあり。

         ー『糸島郡誌』後編 一貴山村 第十章 史蹟名勝







heikeochiudo_02.JPG






二丈満吉に入って南に3キロメートルほど進んだところが、唐原(とうばる)である。
車両一台が通れるほどの細い道は曲がりくねっており、まさに山間僻地。
人の侵入が気安いとはいえないこの地は、平家落人(へいけおちうど)の里として有名である。

平安時代末期。
治承4(1180)年から始まった源平合戦は、一ノ谷の戦い、
屋島の戦いで連敗を喫した平家方の敗色が濃厚となった。
これにともない平家一門をはじめその郎党の中には
各地に隠遁を余儀なくされる者が出るようになった。
その中の一行に、平重盛(たいら の しげもり)の内室とその遺児である二人の姫がいた。

重盛は清盛の長男で、父の後継者として正二位内大臣まで登り詰めているが、
病に倒れた後、鹿ヶ谷の陰謀をきっかけに政界から姿を消すとそのまま病死している。

重盛の内室一行が九州へ逃れてきたのは治承8(1184)年のこと。
一行は筑紫の豪族で、当時の大宰少弐である原田直種を頼って大宰府に下って来た。
直種は平家に与して平治の乱、保元の乱で戦功を挙げており、
また直種の妻は重盛の養女(叔父・家盛の娘)であったことから、
平氏と深い関係にあったとされる。
そのころ源氏の追っ手が西国に入ったとの報を受けた直種は、
内室と千姫、福姫の二人の姫を迎えて人里離れた唐原へ隠した。

内室はこの地で息を潜めて暮らすことを覚悟すると、重盛の遺髪を
小さな山の上に埋めて塚をつくり、それに毎日手を合わせていたという。
現在その山は「黒髪山」と呼ばれており、その裾を流れる川は「黒髪川」と呼ぶ。
また、その山の前には紀伊国の熊野三社から勧請した社を建てて、
平家の守護神として祀った。

直種から送られてくる食料や物資を頼りに、不自由なく暮らしていたと思われる
一行であったが、都のような華やかな生活はそこにはなく、寂しい山隠れの日々。


  「早く都に帰りたい・・・」


幼い二人の姫からそんな心の声が口から出ても不思議ではない。
姫たちは都が恋しくなると、遠く可也山や入り組んだ船越の港湾を一望できる
高台の大石に上がっては、東の空に望郷の思いを馳せていたという。
このとき姫たちが上ったとされる平たい大石は、
現在も「都見石(みやこみいし)」の呼称で残っている。

しかし、元暦2(1185)年平家が壇ノ浦で滅亡すると、
遂に源氏の追っ手が唐原にまで及んで来た。
二人の姫そして乳母は、突然目の前に現れた源氏の刺客に無惨にも斬られて、
その場で息を引き取ったという。

悲しみの底に突き落とされた内室は「千福寺」を建てて
姫たちを懇ろ供養したが、そののちに娘たちの後を追って自害した。

残された従者たちは、内室の墓を建てると出自を隠し、
ひっそりと農耕をして暮らしながら三人の霊を弔い続けた。
現在この地にある5戸はこの子孫といわれ、それぞれ姓や菩提寺が
共通しないのは、一切の素性を秘し隠すためだといわれている。






heikeochiudo_03.JPG
heikeochiudo_04.JPG
二人の姫の名前「千」と「福」の文字をとって付けられたという「千福寺」の跡。
お堂の裏手には、千姫と福姫を祀るという小さな二基の供養塔が並んでいる。

heikeochiudo_05.JPG
二人の姫が都を恋しんで上っていたとされる「都見石」の目印となる石燈籠。
現在は棚田に巡らされた柵があって、石を近くで見ることができなくなっている。

heikeochiudo_06.JPG
heikeochiudo_07.JPG
黒髪山にある平重盛の遺髪が納められた「黒髪塚」。
遺髪はすでに盗掘にあって今は埋まっていないという。

heikeochiudo_10.JPG
heikeochiudo_11.JPG
平重盛内室が建てたとされる「東光寺」の跡は、満吉公民館の隣にある。
「東光寺跡」には現在地蔵尊が祀られている。

heikeochiudo_09.jpg
heikeochiudo_08.JPG
乳母や従臣も祀られているという平重盛内室之の墓所の傍には、
見事なカエデ(写真上・左)とイスノキ(同・右)の大木が立っている。






参考:『怡土志摩地理全誌・1怡土篇』/由比章祐(糸島新聞社)
   『糸島伝説集』/糸島伝説集編集委員会(糸島郡観光協会事務局)
   『二丈町誌・平成版』/二丈町誌編纂委員会(二丈町)
   『怡土志摩石ものがたり』/坂本繁俊(梓書院)
   『詳説日本史』/石井進・笠原一男・児玉幸多・笹山晴生(山川出版社) 他





posted by 由比 貴資 at 00:01| Comment(1) | 満吉村
この記事へのコメント
唐原が平家の落人の里とは知ってたけど、平重盛の妻と二人の娘が落ち延びた所とは知らなかった。今度行ったらよく見てお参りしたいな。
Posted by 林清文 at 2017年09月19日 20:58
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: